改めてBright Blueの歌詞を考える

こんにちは。

本日10月27日は鷺沢文香さんのお誕生日です。おめでとうございます。良き一年になりますように。

そして奇しくも、本日は文香さんの声優のM・A・Oさんが出演予定のデレ10th千葉公演Day1までちょうど1か月の日でもあります。

 

良い機会なので、文香さんのソロ1曲目であるBright Blueの歌詞の解釈を改めてまとめてみようと思います。

 

実は、Bright Blueの歌詞には個人的によく理解できていない部分が結構あります。そのあたりをいったん整理したいという目的と、あわよくばいろんな方にBright Blueと文香さんのことを少しでも知ってほしいという願望があります。

これから年末にかけてのライブ、総選挙曲リリースやそれに伴うイベントへ向けて、できる限り理解を深めていきたいところです。

 

注意

以下の内容は個人の解釈であることをご了承ください。あらゆる点において異論は大いに歓迎しますので、ご意見等あればコメントなどいただけますと幸いです。

そもそも未解決な部分が多いです。助けてください。

また、ソロ1曲目ということでいわゆる「キャラソン」としての意味合いが強く、基本的に歌唱アイドルの人生そのものを歌うような曲であるという前提で話を進めます。

 

 

 

 

以下常体

 

 

 

 

本題に入る前に

まず歌詞の解釈に入る前に、個人的に鷺沢文香というキャラクターの中心的なテーマだと考えている要素を二つ挙げておく。

テーマ1.本を読むだけで終わってしまった思春期~青春期のやり直し

今まで本を読む以外ほとんど何もしていなかったせいで逃してしまった、本来19歳になるまでに積むべきだった経験、するべきだった成長、知るべきだった世界を、アイドル活動を通して取り返していくという内容。後述するようにBright Blueの歌詞にも表れている。

テーマ2.インプットからアウトプットへの転換

「本を読む」というインプット的な行動しかしていなかった今までとは違う、「歌って踊る」「文章を書く」「人と話す」といったアウトプット的な行動の楽しさを知っていくという内容。どちらかというとソロ2曲目の銀河図書館で強調される内容だが、Bright Blueの歌詞にもその片鱗が見られる。

鷺沢文香の物語というのは端的に言うと「文香さんが成長する話」なのだが、ではどういう風に成長していくのか?というと上二つのテーマで大体まとめることができると思っている。歌詞解釈に限らず、この二つを念頭に置いた上で初期沢文香さんと最近沢文香さんを比較すると面白い。

 

これを踏まえて、本題のBright Blueの歌詞解釈に入っていこうと思う。

 

歌詞解釈

 

飛ばしたページを読み返す様に
心と向き合えば
少しは自分を変えられる
一歩を踏み出せそうで

 

まず1番冒頭から。テーマ1を明確に表した一節。文香さんのアイドル活動は『飛ばしたページを読み返す様』なものだということ。

アイドルになる前の鷺沢文香の様子はまあ褒められたものではないし、自分でもよくないという自覚はあったようで、『少しは自分を変えられる 一歩を踏み出』したいと(結構強めに)思っていたらしい。

 

どこまでも続くシナリオの中
どれだけの涙 笑顔に出来る?
やっと見付けた光

 

実は個人的に決着のついていない部分。『どこまでも続くシナリオ』は文香さんの人生ないしはアイドル活動の比喩でいいのだが、続く『どれだけの涙 笑顔に出来る?』をどういうニュアンスで捉えるかで、この部分どころか曲全体の印象が変わってしまう。候補となりえる(というか迷っている)解釈を挙げる。

解釈A1.「たかが私ごときがアイドルになったところで果たしてどれだけの涙を笑顔にできるのだろうか…」というネガティブなニュアンス。

解釈A2.「こんな私でももしアイドルなんてすばらしいものになれたら一体どれだけの涙を笑顔に変えられるのだろうか!」というポジティブなニュアンス。

個人的に長いこと解釈A1のネガティブな方で捉えていたので、ここを中心に曲全体にすごい卑屈な印象を持っていた。が、最近解釈A2の方の捉え方に気付いて、曲の印象が大きく変わる可能性を感じている。

Bright Blueという曲は、1番が将来への希望や期待、2番がちょっと不安もあるけど勇気出して頑張ろうという内容らしい。解釈A2で捉えることでこの流れが非常にすっきりとまとまると思う。

何より、解釈A2の方が直後の『やっと見つけた光』という歌詞と整合性が取れる。たくさんの涙を笑顔に変えることが文香さんにとって『光』だと言っているのである。

ではなぜ私がネガティブな解釈A1の可能性を捨てきれないかというと、文香さんがネガティブだからである。特に、アイドルになってすぐの様子を見る限りでは解釈A1があまりにもしっくり来てしまう。そもそも文香さんがアイドルになった理由は、他人を笑顔にしたいとかよりも自分を変えたいとかの自己実現よりのものなので、そんな解釈A2みたいな高尚でポジティブパッションなこと考えてたか?という違和感がどうしても残る。

私が文香さんの何らかの発言を見逃している可能性もあるのでもしそうだったら教えてください。

 

ファンタジーな世界に
逃げてるだけじゃ
本当の私も探せないまま

 

サビ。『ファンタジーな世界』というのは本の世界でいいとして、『逃げてる』というのが問題。逃げるというからには何か負の要素があるものに追われていたことになる。直前の『光』というワードに対応させるなら『闇』と言える。そしてその『闇』は、鷺沢文香にとって本の世界に『逃げ』たくなるようなものであり、かつ『本当の自分を探せないまま』にしてしまうようなものらしい。ではその『闇』とは一体何だったのか。

解釈B1:本を読む以外何もしないことへの焦燥・罪悪感。何も成長しない己の未熟さ。

まずシンプルに考えるとこうなる。多分間違ってはいない…はずなのだが、これが文香さんにとって『逃げ』るほどの忌むべき対象だったかというとまだ若干検討の余地があると思っている。というのも、確かに文香さんはこういう有様の自分が好きではないし自信も全くなかった一方、やや悟り気味なところもあった。特にモバマスのぷちステップアップエピソードでは「こういう生き方が自分の身の丈にあっていると思っていた」とまで言っており、どちらかというと今の自分を受け入れてもいるような様子が見られていた。

これを踏まえると、解釈B1に上げた要素からの『逃げ』というのは間違ってはないけど何かが足りていない…というような気がする。

そこで、少し深読みしてみる。

解釈B2:寂しさ。

実は誰とも関わらずに本を読み続けることには少し寂しさが潜んでいた…?

着想を得たきっかけは、銀河図書館の『女の子は寂しくなんかありません』という一節。少し前に銀河図書館の歌詞を考察した時、この部分は『本当に寂しくなかった』『本当は寂しかった』のどちらでも取れると思っていた。しかし、今こうして改めて考えると『本当は寂しかった』と捉えるのがしっくりくる。銀河図書館は2曲目なので後付けと言われればそれまでだし、『アイドルになる前は寂しかった』と文香さんから直接発言があったわけでもないので、あくまで深読みなのだが、個人的にはしっくりきすぎてこの解釈の可能性を捨てきれない。

 

顔上げてみたら
見慣れた空
今日はいつもより
Bright Blue

 

アイドルになってからの話。うつむいていては何もできないが顔を上げてみたらどうにかなる、視界(価値観)が広がる、という話がデレステメモリアルコミュ4話でなされている。また、『見慣れた空 今日はいつもより』なのもポイント。自分を取り巻く世界そのものへの印象が変わり、Bright Blue=輝く碧いきらきらしたものになっていることを示している。

 

 

誰にも言えない痛みには
脆さも強さもある
明日の自分を愛せる様に
未来を信じてみたい

 

2番。実は一番よくわかっていない部分。『誰にも言えない痛み』とは何か?そして『脆さや強さ』というのは「痛みの脆さ」「痛みの強さ」ということでいいのか?「強い痛み」というのはすぐ理解できるが、「脆い痛み」というのが解釈を阻む。

『痛み』の正体としてぱっと思いつくのは、本を読むだけの生活から脱出する際の苦労、恐怖、不安など。しかし、これらは少なくともプロデューサーには話している。『誰にも言えない』というからには本当に誰にも言っていないか、ごく最近になって打ち明けられた(そして私が聞き逃している)『痛み』、ということになる。本当に誰にも言っていないとしたら読者目線だと推測するしかなく、これと言った結論を出しづらい。

先ほど解釈B1で挙げた焦燥、罪悪感、自己嫌悪、解釈B2で挙げた寂しさはこの痛みの正体として挙げられるかもしれない。が、1番のサビで語った内容をまたここで持ち出すのはくどいのかな…?というメタ的な違和感は正直ある。「寂しさ」に至ってはもともと深読みだったものをさらに深読みするような形になるので、確証は全くない。

万が一、総選挙曲やそのイベントで「実は...」とか言ってこの正体が打ち明けられたら激熱。

 

これから始まる物語なら
この手に握ったペンで描いてく
やっと見付けた勇気

 

冒頭で挙げたテーマ2の片鱗が見える一節。読むのではなく自分で『描いてく』のが重要。

また、1番では『光』だった箇所がここでは『勇気』になっている。個人的に、文香さんが一歩踏み出すのに最も必要だったものがこの『勇気』だったと思っている。自己評価の低くてとにかく自信のなかった文香さんにとって、「やってみませんか?」みたいなただの誘いではなく「君が必要だ」「君ならできる」という強引なスカウトを受けたというのがアイドルになるきっかけとして必要だったらしい。プロデューサー偉い。

 

ファンタジーな世界に
救われたけど
本当の居場所は探せないまま

 

2番サビ。1番のサビと本質的には同じだが、重要なのは『ファンタジーな世界(=本の世界)に救われた』ということ。1番のサビだけ聞くとまるで現実逃避のためだけに本を読んでいたように思ってしまうが、そうではなく、本を読むことは鷺沢文香の人生にとって大きな意味を持つものであることを強調している。本は救済。本は人生。でもだからこそ、本への依存度が高くなりすぎて、そこから一歩踏み出す勇気がなかなか湧かなかったのだとも思う。その辺踏まえてやっぱりちゃんと現実も見ようというのがここの歌詞。

そして、ここであえて『本当の居場所は探せないまま』というフレーズを持ってきているのが注目ポイント。これは裏を返せば「本当の居場所が欲しかった」ということになる。そしてこれは先ほど挙げた解釈B2「本当は寂しかった」と矛盾しない、というかむしろ裏付けてるまである。

鷺沢文香…あなたは…『寂しかった』のか…?

…書いておいてあれだが、あまり真に受けないでもらえると嬉しい。こういう深読みを好まない方もいると思うので…。

 

前髪を切って
見た景色は
なぜか心まで
Bright Sky

 

前髪って切ったんだっけ?分けただけでは?まあでもアイドルになったら多少切るぐらいはするか…。

『なぜか心まで』と語られており、輝く碧い空は心理描写の比喩でもあることがはっきりする。輝く碧い空から想起されるのは、すがすがしく、晴れやかで、開放感のある気分。

 

星が眩しい空に
飲み込まれそうになる
いつか私も
輝ける日が
来るのかな

 

Cメロ。ここだけなんか夜になったり昼になったりする。

『星』『空』と聞くとまた銀河図書館を引き合いに出したくなってしまうが、ここは多分そんなに関係ない。『星』が弱々しいもの=文香さん自身の比喩、『眩しい空』がそれを取り囲む世界の比喩で、アイドルとしての将来への不安、そして期待を示しているという風に素直にとらえていいと思う。

 

側にある声に 耳を澄ませば
止まった時間 動き出すよ

 

ラスサビ。『側にある声』はここではプロデューサーのことでいいと思う。プロデューサーは文香さんの行動がポジティブになる方向へ影響を与えている。また、直前の歌詞で将来への不安をちらつかせたことで、『側にある声』が精神的な支えにもなっていることを示す構造になっている。

直前までの星とか空とかのスケールのでかい描写から、曲が静かになるとともに一気に『側にある声』へ来るのが個人的に好き。

 

顔上げてみたら
見慣れた空
今日はいつもより
Bright Blue

 

一番のサビの繰り返し。これで曲は終了。めでたしめでたし。

今更だが、Cメロの歌詞をもとに『空』を「文香さんを取り囲む世界」と考えて歌詞を読み返すと、このBright Blueという曲の全貌が見えてくると思う。文香さんが顔を上げて見た世界は碧く輝いているということらしい。素敵。

 

 

 

 

以下敬体

 

 

 

 

終わりに

Bright Blueについて私が考えていることは以上になります。考えが全然まとまっていないのがお判りでしょうか。助けて…

歌詞考察をするにあたって他の方の記事などを参考にしようと思ったのですが、銀河図書館のそれと比較してその数が圧倒的に少なくて大変でした。もっといろんな方の解釈も聞いてみたいですね。みなさんもっと軽率に考察しましょう!

参考にさせていただいた記事を掲載いたします。(許可を得ておりません。問題があれば削除いたします。)

銀河図書館の感想 - オタクのあれこれ

鷺沢文香とファンタジーのお話 : アイマス雑記

 

また、過去に私が銀河図書館について考察した時の記事も載せておきます。

銀河図書館から見る鷺沢文香の世界観 第0章 - 文香さんの書斎の床下

 

さて、冒頭でふれたとおり、これから年末へかけて鷺沢文香界隈は大いに盛り上がることと思います。一体我々文香Pは何を見せられてしまうのか…大きな期待と多少の恐怖が入り混じった心境です。

文香Pの皆さんも文香Pでない皆さんも、この一大事をぜひ見逃さないでいてほしいです。