銀河図書館another

銀河図書館another

 

 

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短編小説形式の妄想もしくは幻覚です。

楽曲「銀河図書館 」をベースにしていますが、一般的なものと大きく異なる解釈をしています。別の世界線の話だと思ってください。

 

 

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席替えで窓際の席を獲得した文香は、休み時間中、ずっと空を眺めている。

 

文香は内気で人見知りである。クラスメイトたちは皆、休み時間になれば校庭へ遊びに出ていってしまう。そんな中文香は一人で机に座り、ぼんやり空を眺めている。

文香は要領の悪い子ではない。平仮名も数字もあっという間に覚えたし、教科書ももう難なく読める。授業も聞いている分には面白いと思っている。しかし、たまに先生から発言を要求されると、毎回立ったまま押し黙ってしまう。文香の寡黙具合には先生も手を焼いている。どれだけ優しく接しても、文香は目を逸らして俯くだけである。

こんな様子なので、入学から3ヶ月が経った今でもまともに会話のできる友人はできていない。逆に、クラスメイトたちは文香がどんな声で喋るのかすらほとんど知らない。

 

文香の通う小学校は、丘を少し登ったところに建っている。通学路に坂道があって毎日登るのが大変だが、窓からの見晴らしは良い。

文香は空を眺めるのが好きだ。いつも一人で空を眺めているのは、やることがないからではなく、それが好きだからである。

空は綺麗だ。青くてキラキラしていて、雲は一刻ごとに形を変え、見ていて飽きることがない。夕空や夜空は昼間とは違った表情を見せてくれるので、一日中見ていられる。雨上がりの空は特に綺麗で好きだから、天気が悪くても憂鬱にはならない。

 

7月になり、気温が上がった。外で遊ぶ気なんてものはいよいよ失せてしまった。今日も文香は教室で一人、空を眺める。しかし寂しくはなく、むしろずっとこうしていられる今の生活が心地良かった。何より、この教室から眺める初めての夏空が、今までに無く綺麗だった。

 

 

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叔父が書店を開く事になった。

文香の叔父は、文香の住む住宅地から電車で一本の、少し大きな街に住んでいる。何でも、書店の経営は叔父の昔からの夢だったらしい。働きながらコツコツと計画を進め、やっと開店まで漕ぎ着けたそうだ。

開店記念のお祝いに、文香の両親は叔父の書店へ訪問することになった。文香も両親に連れられて行った。

 

文香にとって叔父はあまり得意な存在ではない。両親となら普通に会話ができるが、裏を返せば、両親以外は全て人見知りの対象である。

叔父は父親の弟である。歳はそれほど離れておらず、実の所顔付きも雰囲気もよく似ている。しかし、文香は叔父に会ってもいつも俯いてしまい、まともに顔を見ていないので、それを知らない。

ちなみに、母親は父親より少し年下で、母親と叔父がほぼ同い年である。

 

電車に揺られて着いた街は、文香の家の周りと比べて高い建物が多い。空が四角く切り取られ、狭苦しい。

地図を片手に進む両親を追うように歩いていると、程なくして目的地へ着いた。叔父の書店は雑居ビルの1階に設けられていた。開店祝いのフラスタが置いてあり、壁には7月19日オープンと書かれた紙が貼ってある。今日が7月18日なので、ちょうど明日開店ということらしい。

すぐに裏口から叔父が出てきた。両親は挨拶を交わす。一方、文香は母親の後ろに隠れてしまった。

「文香ちゃん、こんにちは」叔父が声をかける。

「……」

「ほら、文香も挨拶をしなさい?」母親も挨拶を促す。

「……」

「こんにちはって、ほら」

「……」

「もう…すみません、この子、人見知りで」

「いえいえ、可愛らしくていいじゃないか」

「僕らとは話してくれるんだけどね。まあ、いつかは心を許してくれるだろうけど」父親が困った顔で言った。

 

外は暑いからということで、店の中へ案内された。

店には玄関以外に窓がなかった。空が見えず、薄暗い。様々な本が所狭しと陳列してある。部屋は静かで、自分たちの足音と、本の存在感だけが際立つ。一箇所だけ本棚のない区画があり、その壁には大きくて古い柱時計が掛けてある。

「立派な時計だな。買ったの?」

「雰囲気が出るんじゃないかなと思ってね」

 

文香にとって、この部屋はただただ不気味だ。しかし、次第にこの「本」という存在に興味が惹かれていった。

本。

母親に読み聞かせてもらったり、教科書を読むことはあるが、特段思い入れのあるものではない。これほど大量の本に囲まれた経験もない。

表紙や背表紙に難しい漢字で題名が書かれている。もちろん、その大半は文香には読めない。しかし、それらが一つ一つ違っていることはわかる。よく見ると本の色や大きさ、厚さも違う。開くとどうなっているのだろうと思った。どうせ読めないだろうが、これもきっと様々なことが書かれているのだろう。

母親の手を両手で握り、顔は横に向けて歩く。不思議と、見ていて飽きることがなかった。

 

文香達は店の奥にある机に案内された。両親は開店祝いの品を渡したりしたあと、叔父と雑談を始めた。

ちょうどその机のそばに児童書のコーナーがあった。ここに置いてある本の題名は、全て平仮名だったり、振り仮名が振ってあったりしていて、文香にも読めた。

文香は両親と叔父の雑談には混ざれないので、しばらく椅子に座ったまま児童書を物色した。

 

「この本が気になるのかい?」

いつの間にか、叔父が文香のすぐ隣で屈んでいた。文香は少しびっくりして、とっさに目を逸らした。その視界の隅で、元々文香の視線の先にあった本を叔父が手に持つのを認識した。

表紙には『銀河図書館(ぎんがとしょかん)』と書かれている。

確かに、文香は今その本を見ていた。表紙に描かれた星の絵が綺麗だという印象があった。とはいえ、特に気になっていたというよりは、偶然その本の方を向いていたのを叔父に見つかったという方が正しい。

「そうだなあ、せっかく来てもらったし、この本は文香ちゃんにプレゼントしようかな。お客さん第1号ということで」

叔父はその本を文香に差し出した。文香は恐る恐る手を伸ばし、それを受け取った。

「あら、ありがとうございます。ほら、文香もお礼を言いなさい?ありがとうございますって」

「……」

文香は例のごとく黙ってしまった。しかし、この受け取った本が叔父からの優しさであり、大事なものであることは理解していた。文香はその本を両手でぎゅっと抱えた。

それを嬉しさと感謝の表れだと解釈した両親と叔父は、顔を見合わせて微笑んだ。

「いつか、感想を聞かせてね」

不意に柱時計がゴーンと鳴った。文香は体をびくりと震わせた。それを見て両親と叔父はまた少し笑った。

 

 

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帰宅した頃には夕方になっていた。

「さっきの本、夜になったら一緒に読もうね」と母親は言った。しかし、文香は本の中身が気になって、正直夜まで待てる気がしなかった。

文香は自分の部屋に本を持ち込んだ。部屋には文香一人しかいない。

 

文香はその本の表紙を恐る恐る開いた。

 

『銀河図書館』

 

『大きな大きな図書館で、女の子が本を読んでいました』

『そこはとても静かな場所』

『誰もいない銀河の果てで、女の子は本を読んでいました』

 

本を開いた瞬間、美しい挿絵が目を引いた。たくさんの星がまたたく空に、本棚が並び、女の子が本を読んでいる。

漢字には振り仮名が振ってあり、何とか読めた。「銀河」というのが何なのかよく分からなかったが、星が一面に煌めくこの空間が銀河なのだろうと思った。

 

『女の子は寂しくなんてありません』

『本を開けばそこには、たくさんの物語がありました』

 

女の子は寂しくないという事実を、文香はとても素直に理解した。そして、こんな綺麗な場所で、一人で悠々と本を読む女の子に、親近感を半分、羨望の念を半分抱いた。

 

『しかし、ある日大きな嵐が来て、女の子は、知らない星へと落とされてしまったのです』

 

場面が変わった。吹き荒れる嵐、飛ばされる女の子。胸の辺りがずきりとした。

 

『目を覚ますと、そこは四角い空の不気味な街』

『女の子は、怖くて怖くて仕方ありませんでした』

 

文香も怖かった。目を覚ますと知らない土地にいたこともそうだが、何より四角い空というのが怖い。いつも眺めているあの綺麗な空が、いつもと違う。その不気味さを空想して、文香の鼓動はまた速く大きくなった。

 

『そこへ一人の人がやってきて、本を手渡してこう言いました』

『「さあ、君の物語を聞かせて!」』

 

この人は誰なのだろうか。女の子はきっとそれどころじゃないのに、何をさせようとしているのだろうか。文香はよく分からない。よく分からないが、この人は悪い人ではないのだろうということは理解できた。

 

『本を読み始めると、たくさんの人がやってきました』

『わくわく、どきどきしながらみんな物語に夢中でした』

『「めでたしめでたし」みんなは笑顔になって、四角い空にも星がきらめきだすのでした』

 

あの不気味な空に星がきらめき、綺麗になっていく。まるで魔法のような力だ。その様子を読む文香の方こそが、わくわく、どきどきしていた。

 

『本を渡した誰かが、女の子の前にやってきて、言いました』

『「素敵な物語をありがとう。君をずっとずっと、待っていたんだ!」』

『女の子はどうしてか、顔を真っ赤にしながら、笑いました』

 

この人のやっていることは結局よく分からない。よく分からないが、やはり悪い人ではなかった。それより、女の子は嬉しそうで、きっと救われたんだということを理解し、文香も高揚し、救われた気持ちになった。

 

ここで物語は終わった。

本を閉じたあとも、文香の心臓の鼓動は止まらなかった。一人でいる部屋が妙に静かに感じ、自らの鼓動の音がはっきり聞こえてきた。胸の辺りが暖かいような、ざわざわ、むずむず、どうにも言葉にするのが難しい、今までに味わったことの無い感覚を覚えた。

少し息を吸って吐いて、ふと窓の外を見ると、いつの間にか夜になっていた。星が煌めいている。いつも通りの夜空なのに、いつもと違って見える。ただ綺麗なだけの景色ではなく、そこに意味が加わったというか、世界が加わったというか、とにかくそれはもう今までの夜空とは違うものになっていた。

 

「文香、ご飯よ…あら?」

母親が部屋に入ってきた。文香は絵本を抱えたまま、窓の外から母親の方へ向き直った。

「その絵本、やっぱり気になるのね。ご飯を食べたら、読んであげるからね」

「…読んだの」

「え?」

「もう読んだの。そしたらね、星が綺麗で、女の子が嬉しそうにしてて、それで…」

「うんうん」

「それで、私も楽しかった」

「…ふふ、そう、素敵な感想をありがとう。よかったわね、文香!」

文香は、顔を少し赤くしながら、笑った。

 

 

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昼休み、文香は珍しく教室の外へ出た。向かった先は図書室である。

図書室には学校の案内で一度来たことがあるが、それっきりである。使い方もその時説明された気がするが、詳しくは覚えていない。そんな場所へわざわざ向かったのは、叔父の書店や銀河に浮かぶ図書館に触れて、それらに相当する図書室という場所が気になったから、また、「銀河図書館」を読んで得たあの感覚を、本を読むことでまた味わえないかという期待からである。正直なところ、「銀河図書館」の物語を少し思い出すだけで、文香は胸の高鳴りを抑えることができなくなっていたのだ。

 

図書室の扉は閉じていたが、中を見るとまばらに人がいて、入ることはできるようだ。しかし、普通の教室と雰囲気の大きく異なるその扉を前にして、文香は怖気付いてしまい、扉の前をうろうろし始めた。

 

「君、どうしたの?」

不意に図書室の扉が開き、大人の女性が現れ声をかけてきた。図書室の担当の先生であるようだ。

「図書室に入りたいのね?」

文香は目を逸らしながらも、ゆっくり、しかししっかり頷いた。

「そう。色々分からないと思うから、先生が教えてあげるわね」

文香は先生に連れられて図書室へ入った。図書室は冷房が効いていて涼しかった。

 

文香はそこで本を借りた。

 

それからというもの、休み時間中の居場所が教室の窓際の席から図書室へ変わり、本を読む時間が増えた。借りた本を家に持ち帰ることも覚えた。丘の上の学校までの持ち運びが大変だが、苦痛には感じなかった。

依然として、学校での友達との交流はほとんどない。しかし、文香を見守る側の先生からすると、ずっと空を眺めているよりは本を読んでいる方が有意義だし、没頭できるものが見つかったように見えるため、少し安心したようだ。もちろん文香は先生の気などお構い無しで、ただ読書が楽しくてたまらないのだった。

 

程なくして夏休みが始まった。

クラスメイト達が浮き足立つ中、文香は長い休みで本を読むことだけを考えていた。人とは趣が違うかもしれないが、これはこれで楽しみだった。

ところが、夏休み中は学校の図書室が使えないという大きな誤算があった。

休みに入る前に思い切ってできる限りの本を借り、頑張って持ち帰ったものの、すぐに読み切ってしまった。文香は本に飢えた。もっと本が読みたい。学校の図書室以外に、本がたくさん手に入る場所へ行きたい…。

 

そう、学校の図書室以外に本がたくさん手に入る場所。文香に心当たりは1つしかなかった。

 

「…お母さん」

「なあに、文香?」

「叔父さんの…お店に行きたい」